歴代主将が語る谷原ヤンキース史
『絶対に大ちゃんとプップは入れたいな。この二人が入ればかなりの戦力アップになる。』5人の頭にまず浮かぶ共通の人物が彼等だった。二人はそれぞれ谷原中学校軟式野球部のエースピッチャーと正捕手であり、高校に進学した今でも大ちゃんこと河野大介氏は軟式野球クラブ、プップという珍妙な通り名を持った宮崎裕司氏は硬式野球部に所属と、それぞれ貴重な現役のベースボールプレイヤーであった。
両氏に電話をかけ、共に入団の快諾を得た時、このアマチュア野球団結成の話は、にわかに現実味を帯びてきた。続けて増田健一、小川克己、喜多大介、宇津木泰史、戸田博明等、谷原中時代の同級生の入団了承により更に話は一気に加速し、大澤宏治氏の高校の友人である加藤君を助っ人として更に加え、ついに15名程の人数が揃った。
『グローブ位みんな持ってるだろう。バットは元野球部の連中が持ってるし。キャッチャーミットと面、あとボールだけはみんなで金出しあって買おう。』話はとんとん拍子に進み、あとはユニホームを揃えるだけになった。高校に入学した初めての夏休みで、まだアルバイトもままならない我々には金が無かった。スポーツ用品店で貰ってきたユニホームのサンプルカタログをしげしげと見つめている間に、我々はいくつかの事を理解した。
つまり、メッシュだとか横文字の生地を使っているユニフォームは高い、またたくさんの色を使っていたり、胸や肩や背中等に文字を入れていくと、どんどんショックプライスになっていく、という単純な法則だ。
この日本国には古来より、シンプルイズベストという素晴らしい言葉が子々孫々に伝承されている。我々は別に金がないとかそういう理由ではなく、あくまでもシンプルイズベストというある偉人が言い放った格言にのっとり、ユニホームのデザインを決定していった。当然の如く貴重はホワイト、念のため日本語に直すと白。そして胸には赤ベースの黒字で、こっそりYAWARAの文字。背中には遠慮がちに背番号という事で、どこにもヤンキースの文字がない。しかし帽子の額の部分には単調なYの字、これで全てが解決したそのユニホーム一式は何故か谷原中野球部の練習用ユニホームに似ていた。すると不思議な事に帽子以外、ほぼホワイト一色のそのユニホームは大変安価、英語でいう所のリーズナブルなプライスに仕上がったのである。
背番号は自己申告制だった気がする。言いだしっぺの私はエース番号1の取得と引き換えに、主将兼連絡雑用係となり、大澤、原田両氏を副将とし、後に主将である私の前で「潤くん金がないから、ここから使っちゃおうよ、あとで返せばいいじゃん。俺はいつもそうしてるよ。ああ、おばちゃん俺ハンバーグ弁当大盛りにステーキ弁当のおかずだけ。潤くんはどうする?」と衝撃の一言を言い放ち部費の慢性的な使い込みが発覚する事となる篠崎孝一氏を会計とし、内田和之氏を筆頭とするその他10名程のメンバーと共に、ここに初代『谷原ヤンキース』の陣容は、かくのごとく揃ったのである。
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