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歴代主将が語る谷原ヤンキース史

内田、大澤の元武道家両悪人は、外見は非常に爽やかで一見好青年風ではありますが、年少の頃より、窃盗、賭博、恐喝、喫煙、飲酒、詐欺、ねずみ講、不登校等を繰り返し、この頃ではすっかり顔つきや言動も凶悪になり、味方がヒットを打つといやらしい言葉で罵詈雑言を浴びせる、またストライクの中々入らない味方ピッチャーを外野から大声で恫喝する、観客にグローブを投げつける、自分の打率等個人成績表を改竄する、審判にツバを吐く等、悪事の限りを尽くしていた。 しかし後にこの二人が、持ち前の根性と勝負強さを発揮し、クリーンナップの中核を担う事になろうとはこの時誰も思わなかったのではないだろうか。 現在内田和之君は株式会社ヤマト運輸の三鷹支店長等を20代で歴任しながらも、自らの不徳により左遷の憂き目に会い、本社の片隅に一席を与えられて、ガンダムのカードゲームをやりながら不遇の人生を送っているそうだ。大澤宏治君は学生時代よく教師の方々や先輩と言われるような、いわゆる人生の先達達を殴りつけていましたが、今では地元で老人向けの福祉の仕事につき、充実した生活を送っているとの事。何かきっと裏があるのだろう。
さて8番バッターに名を連ねる宇津木氏は、その正規ポジションであるセカンドに球が飛ぶと、誰もが目を伏せ、うなだれ、肩を落とし、愕然としながら、落球、後逸、つまりエラーをする場面を容易に思い浮かべる事が出来る奇特なプレイヤーだった。また彼は高校受験で希望するとある2校の試験終了後、まだその2校の合格発表がなされていないにも関わらず、3高目の試験当日、どっちか絶対受かってるから、もう残りの学校の試験は全て受けない!今日は寝る!と啖呵を切ったものの、皆の予想と期待通りに2校とも不合格であったという、陳腐なエピソードが唯一の自慢の小さな男だった。その運動能力は低いものの、持ち前の腹黒さで微妙にセカンドのレギュラーの座を掴んでおり、今は確か休職中(ニート)でありながら、オンライン戦争ゲームでジオン軍中佐となり、とある部隊の隊長を務めているとの事だ。
現2代目谷原ヤンキースの主将を務めている篠崎氏は、高校時代は現役のサッカー部主将であり、中々我々の試合に参加する事は出来なかったが、この当時は既に大志を抱いて海を渡った留学先のニュージーランドから失意の帰国をしており、その後埼玉でカーテンのサンプルをひたすらカッターで四角く切るという崇高な仕事についたものの、あまりの単調さと人間関係に再度絶望し、今度は神奈川県でパチンコ屋に就職した所、グランドオープンや各種イベントでサルや犬の着ぐるみを着せられ更に困惑し、こんな事いい年こいてやってられねーという言葉を残し練馬に帰ってきていたので、当事は主力メンバーとして活躍していた。
一見粗暴ぶっているが、実は気使い屋で、機嫌が良い時はひたすら下ネタを連発し、下ネタを言って良い環境をこちらが作ってやるとイキイキとして本来の自分を出す、という一種独特な性質の持ち主だった。現在のチームの皆様は篠崎主将のこのような狂態を理解した上で、共に白球を追っているのだろうか?  最後にこの時スターティングメンバーから外れている戸田博明君は、エロスの部分においては、篠崎氏と甲乙つけがたく、幼少の頃より早熟の変態ではあったが、それ以外にここで特筆すべき事は皆無である。
少々長くなったが、以上が初期2000万パワーズの主力メンバーである。篠崎主将を初め今日でも現役を続行しているメンバーも数名いるが、当事は皆若く、闘志に満ち、幸多く、希望に溢れた生活を送っていた。 ちなみにこの時の試合は「ワラビーズ」という相手(残念ながら全く記憶にない)で、なんと我々が4対0で勝利している。現存している試合の記録用紙に2年ぶりに勝ったと書いてあるので、それまでは相当弱かったのだろう。河野氏が完封、決勝打は僭越ながら私目のツーベースと記録されている。 何かこの試合から急に強くなった気がする。2000万パワーズはここから実働2年、平成7年の1月まで2ヶ月に一度試合を行いましたが、通算成績は6勝3敗1分と大きく勝ち越している。まぁほとんど勝った記憶のない谷原ヤンキース時代に比べればだが、区や連名に所属しているチームを相手によく戦ったものだと思う。
つづく
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