歴代主将が語る谷原ヤンキース史
又ある者は、くわえ煙草のまま、フリーバッティングで球を遠くに飛ばす事だけに自らの情熱を傾ける等、およそベースボールプレイヤーとしてのトータル的な技量を高める事より、ひたすら目立とう、自己の欲望を満たそう、という浅ましい限りの、まったくもってスポーツマンシップにのっとらない光景がクラウンドの端々で見受けられた。しかしながら同時に何人かの主力メンバーはそのポテンシャルの高さを見せ始め、数度の練習でメキメキと頭角を現してきた。
当初の私の心配は杞憂に終わり、いつのまにか『俺達超強くねー。』という放言が聞こえ始め、ついにこの私自身も中学時代の公式戦無勝全敗の記録を忘れ、『あぁ無敵だな、俺達。全勝だよ。楽勝楽勝。』とたわ言を嘯くようになってしまいた。
とにもかくにも、元野球部以外のメンバーの底上げも出来、記念すべき初の試合に向けてのレギュラーメンバーも何となく私の頭の中にイメージ出来るようになった。後は対戦相手を探すだけである。
3. 初の対外試合 『その夜の出来事』
負けた。完敗だった。
確か4対10とかそんなスコアだったと思う。石神井公園駅北口の練馬区立高野台野球場で行われた、初の対外試合の相手は大澤宏治氏の高校の友人チーム「フェニックス」であった。
先発マウンドには私が上がった。得意のストレートが冴え渡り過ぎて、フォアボールを連発した。小学校の野球クラブに所属している時からの奇病である、ストライクを投げようと思ってもなぜか不思議とボールになるという病はまだ完治していなかった。
しかしながら、ネクストバッターズサークルでバット片手に次の自分の出番を待つ時の緊張感。又、ツーアウト満塁で俺の所にボール飛んでくるなよと念じる時に額から流れるあの汗の匂い。カウントツースリーから、どうせストライク入らないから思いっきり投げてバッターの頭にでも当ててやれと思う積極性。ここで打ったら俺絶対ヒーローになれるぞと思う幻覚。宇津木泰史氏が守るセカンドにフライが上がった時のあの絶望感等、勝負事の中でしか味わえない、我々が失っていた様々な感覚を楽しみながら、青春の一ページという言葉だけでは語る事のできないドラマテッィクで、エキサイティングな2時間を過ごすことができた。
『野球ってやっぱおもしろいな。』『そうだな、次は勝とうぜ。』秋の到来を告げる少し肌寒い夜風にのって、そんな声がどこからか聞こえてきていた。
その記念すべき初の対外試合が行なわれた夜の事、チーム副将である大澤宏治氏がビールの酔いで目を赤く染めながら、私に向かってチームを辞めると言い出した。
その伏線は試合前にあった。同じくチーム創設メンバーである内田和之氏が、集合時間になってもグラウンドに姿を現さない。メンバーの数がギリギリの事もあり、私は焦った。集合時間を5分過ぎたところで、公衆電話から内田家に電話をかけた。
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