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歴代主将が語る谷原ヤンキース史

6. 2000万パワーズ  『初戦・・スターティングメンバーについての考察』

平成5年5月5日、5並びのこの日、石神井公園駅南口にある東台グラウンドで、記念すべき『2000万パワーズ』の初戦が行なわれた。手元にこの初戦の資料が残っている。 ちょっとスターティングメンバーを見てみよう。

1番原田 孝捕手元野球部
2番宮崎 裕司三塁手元野球部
3番上原 潤一塁手元野球部
4番河野 大介投手元野球部
5番杉浦 栄治中堅手元サッカー部
6番内田 和之右翼手元剣道部
7番大澤 宏治左翼手元剣道部
8番宇津木泰史二塁手元演劇部
9番篠崎 孝一遊撃手元サッカー部
補欠戸田 博昭 元サッカー部

谷原ヤンキース中期から河野大介氏が不動の4番でエースという確固たる地位を築いた他は流動的に決まった。河野氏は圧倒的な長打力と、いわゆる球の重い投球で、完全に投打の中心となっていた。近々とうとう結婚なさるという風説を聞いたが果たして本当だろうか。
ちなみにこの試合においては選球眼の良い選手を前に並べて、4番、5番に一発のある身長180pオーバー、体重80kgオーバーの巨漢コンビを並べ、6番、7番は意外性のある武道家コンビ、そして8番、9番は足のある、かき回せる選手を並べた。というか、今このメンバー表を見るにあたり、当時の私はそのような考えだったのではないかと思われる。 捕手が原田孝氏であるというのも特筆すべきだ。前述したように、非常に異性の目を気にする男で、地味なキャッチャー職を好まなかったと記憶している。しかしながら抜群のコントロールと強肩を誇り、捕手としてのポテンシャルは高く、すぐ嘘をつく事と、 泥酔すると何もかもがどうでも良くなるという性質以外は、人間的にも素晴らしい方だった。
また杉浦栄治氏はこの試合がデビュー戦ではなかっただろうか。恵まれた肉体と運動能力を持ちながら、大地主であるという自負心と財力により、すっかり丸くなってしまったその風貌は、大よそスポーツマンとは思えない感はあったが、この試合以後、様々なシーンで持ち前の運動能力の高さと、誠実さと財力を発揮する事となる。 プップという珍妙な呼称を持った宮崎裕司氏は、私とは小学校の野球クラブ以来の付き合いになるが、彼は一時プロのバイクレーサーを目指し、様々なレースに自費参加しており、それなりの結果を残していた。また野球センス、という意味合いにおいては当時のメンバーの中では群を抜いており、なにをやらせても卒なくこなす、といった万能型プレーヤーだった。余談になるが、確かとあるレースの後自分の車で帰路についた彼は、その途中何を思ったか、前記の杉浦一族が経営する谷原のセブンイレブンに、カーブを曲がりきれずそのまま突っ込んだという伝説を持っている。何か個人的に恨みがあったようだが、その代償として、かなりの血量を失ったと聞き及び、一部はチーム中に死亡説も流れたが、今でも幸い存命しておられるとの事だ。