歴代主将が語る谷原ヤンキース史
しかしながら手元の資料によると、我がチームは当時2年間程試合に勝っていなかった。まさに谷原中野球部状態であった。こういった諸々の状況を含めて、いつのまにか私の中ではみんなで野球をする事が『楽しくなくなっていた』のであろう。またその思いは当時の私以外のメンバーの中にもきっと同じようにあった事だと思う。
解散、解体、解団です。その日、初代『谷原ヤンキース』はその活動にピリオドを打ったのです。
だがしかし!その日、同日、同じ場所で。新たなアマチュア野球団結成の話が持ちあがったのだ。つまり私の問いかけ、呼びかけに対して、皆で話しあった結果、メンバーを補充してもう一度初めからやり直そうという事になった。そう。新たなチームとして生まれ変わり、試合に勝つ喜びをもう一度皆で味わおうという事になった。
当日その場にいなかった他のメンバーにも電話を入れた。急で申し訳ないけれど谷原ヤンキースは解散する事になった。でも新たに今度は試合に勝つ為のチームを作る事になったから、もう一度一からやってみようという気持ちがあるのなら是非参加してくれないか、確かそんな感じでみんなを口説いていった記憶がある。
そして旧メンバーのほぼ全員が残留、更に新メンバーを加える事になった。気分を一新させるという事で、新たなチーム名で、またユニホームを作る事になった。以前とは気合いが違うという事で、ユニホームはカラフルになった。両肩には《1000万》の文字が力強く輝いている。当然ですが、コストは前の物の3倍近い値段になったが、皆から異論は出なかった。なぜなら繰り返すが以前とは気合いが違うし、20歳になった我々は17歳のあの時より少しだけ裕福になっていた。
チーム名は皆で候補を出し合ってすったもんだした挙句、民主主義にのっとって多数決で決められた。『2000万パワーズ』という節操のない名前が、その新たなチームの冠名として決定した。いかにも力強いその名前はご存知の方も多いと思うが、漫画『キン肉マン』に登場する、バッファローマンとモンゴルマンのタッグチームの名前である。それをただパクッただけだった。実に安易なネーミングだった。ちょっと嫌だな、ダサいな、という感じで捉えていたメンバーもいたようだが、何はともあれここに新たなアマチュア野球集団『2000万パワーズ』が発足した。平成の世も5年目を迎えた、新緑の季節の事だった。
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