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歴代主将が語る谷原ヤンキース史

5. 終焉  『そしてリボーン』

「もういいよ、やめようぜ野球なんか。だってつまんないもんやってても。おもしろくないよ全然。だいたいやる気あんのかよみんな。」
その試合の後、チームのメンバーを前に私はキレまくっていた。谷原中学校の先輩チーム『グリース』に対して屈辱的な大敗を喫した後の出来事だ。
我々は20歳になり、高校生という枠組みから外れて、それぞれの道を歩み始めていた。ある者は社会に出て職を得、収入を得て、もう立派に成人としての役割を果たしていたし、ある物は大学でのキャンパスライフを謳歌し、またある者は専門的な分野での立身出世を目指し、修行の身となっていた。メンバーもマイナーチェンジを繰り返し、来るも者去る者入り乱れていた。
そしてこの日、この試合。我々は8人しかメンバーを揃える事が出来なかった。野球は当たり前だが、9人でやるスポーツである。つまり一人足りない。仕方がないので相手のチームに人数的な余裕があったので、一人こちらのチームに入って頂いた。しかしこれは出来れば最も避けたい状況だ。真剣勝負の試合において、相手から人数を借りるという事は、互いのモチベーションを下げる要因になるだけでなく、人数を揃えられないというのは相手に対して失礼な事である。
確かドタキャンが相次いだんだと思う。『わりー、やっぱいけねーや』
そんなに気軽に言うんじゃねーよ、とよく心の中で思ったものだ。思うだけでなく思いっきり口にしていたが、この頃はめっきりメンバーの出席率が悪くなり、遅刻、それも大幅な遅刻も目立つようになっていた。大学生になっていた私自信はまだ時間的な余裕があったが、みんなが高校生だった4年前とは違い、それぞれの生活のスタイルも異なっているし、何となく草野球もそろそろ潮時かなぁという意識もあった。しかしこの日の相手は前述の通り中学時代の野球部の先輩チームという事もあり、前々から気合を入れていたのだが、まずメンバーが揃わなかった事からケチがつき、うちの先発ピッチャーが崩れ、その後私自身が投げたが更に打たれまくり、四球出しまくりで崩壊し、もうピッチャーがいないので、しまいには先輩チームからピッチャーを借りて投げてもらい、今度は守備が乱れ、討ち取った打球を後逸、あるいは悪送球とおおよそ試合の体をなさない状態になってしまっていた。
スコアは5回コールド、23対2とかそんな感じだったと思います。

『どうもマジですいませんでした、こんな試合になっちゃって。』私は先輩達に深々と頭を下げながら、怒りと屈辱感で頭が真っ白になり、『ちょっとみんなわりーけど、少し残ってくんない。話があるんだ。』と言って、そそくさと帰り支度をしているメンバーを集め、冒頭の発言へと繋がったのだ。

もともと結成した理由は何だったのだろう。まあ一言でごく簡単に言うのであれば『楽しそうだから』という事になる。別に強くなって練馬区の大会で優勝するとかそういった意識は私自身全く持っていなかった。しかしながら皆で野球を楽しむ事にプラスして、試合に勝つ喜びが加わればそれはそれにこした事はないと思っていた。無論今までの試合で何度か勝利する事もあったが、当然の事ではあるが、惨敗を喫した日よりも特段楽しくて気持ちイイー!てな感じになる事が出来る。